「奇跡が起きました」と書きたい展開に −呼吸苦からの解放−

 本当に心配している方が多いとわかっているのに、いいニュースを今日まで報告せずに、ごめんなさい!とにかく、前々回と前回の記事は、どうしても忘れられない出来事で、それを形にしてから、そしていいニュースはゼミの先生に報告(メール)してから、ブログを書こうと思っていました。(そして、携帯画面に長文を書く行為は自分の思考スピードと合わなくて・・・昨日やっとインターネットができるテレビに小型キーボードを設置してもらいました。)
〜〜〜〜〜
 先週月曜(1/24)に、初めて会う病棟医から再びCT撮影を勧められた。やはり私は「撮っても仕方がないんじゃないですか」と答えてしまった。「CTは痛くも痒くもないでしょう」と言われ、「それもそうだ」と思い、結局CTを撮ることに。撮影後「呼吸器外科に検討してもらうから」と言われ・・・。お昼頃だったか、乳腺外科の主治医が来たので「先生、もう死にそうだったんです!」と明るく言うと「本人が言うなよ」と。「今、外来の途中だから、また来るから」と。午後3時頃、呼吸器外科の主治医M先生が来て「水が抜けるかも」と。若手の病棟医数人と看護師に囲まれ、去年2回穴を開けた辺りにグサっとドレーンを挿入。「今までで一番痛いです!!」と、何度も何度も「いたーい!」と声を上げてしまう。ドレーン挿入が終わって、体を起こすと、左脇からは真っ黒い管が・・・。その時点で1,070ml排出でクランプ(排出を止める)。「ああ、末期症状の象徴、どす黒い血だ・・・」と。しかし、一気に胸の圧迫感が抜け、呼吸が楽に。夜、外来が終わってから乳腺外科の主治医が来たので「先生、ほら、末期症状のどす黒い血ですよ」と、トロッカーを指差す。(私は何でこうも、明るく他人事のように言うのか・・・)
 翌日1,000ml、その翌日870ml・・・金曜(1/28)までに約3,600ml抜けた。再度CT撮影。看護師もCTの技師も「すごーい、別人みたい!」と。夜、病棟医にCT画像を見せてもらった。「これが月曜日、こっちが今日の」と。「あのー、半分以上というか4分の3ぐらい埋まっていると言われてきたしこりはどれですか?」と聞いたら、「そんなものはないよ。ここら辺、胸壁に肉厚の部分があるけど」と・・・。なんと、臨床豊富な乳腺外科医も呼吸器外科医も(呼吸器内科医も?)“固形癌(しこり)”と診断していたのは、そのどす黒い血の塊だったのです!土曜にER病棟から外科病棟に移り、呼吸器外科の主治医が来て「まだ抜けそうだから」と、管を9cm外にずらし・・・火曜日の今日までで(9日間)、なんと約5,000mlの胸水(まあ、血ですが)が抜けたのです。
 私は1日1日と体力が回復していくと同時に、かなり早い段階で、酸素マスク(5L吸入)から酸素チューブへ、そして何もなしでサチュエーションが98%に・・・。そして今は、普通のスピードで食事も薬飲みもでき、すたすたとトイレに歩いていき、下に落ちたゴミもさっと拾うことができる状態に。もちろん、全く息が上がることはなく・・・。そして肺に気遣うことがなく、大笑いができるように。
 年明けから、日ごと苦しさが増し、息絶え絶えに身辺整理をしてきたのは何だったのだろうか・・・。『余命』って何なんだろう・・・。そんな心境で、ここ数日を過ごしていました。
 とにかく、死にかけて命拾いをしたのは確かです。呼吸困難に陥ったのは、たまたま病院で、そしてたまたまベッドの上でした。これは本当にラッキーです。どこかで立った状態で倒れていたら、呼吸困難で死ぬ可能性だけでなく、頭部にダメージがあって死に至っていたかもしれない。そして、(推測ですが)救命の観点から抜けそうな水があったら抜こうと、外科医たちが考えてくれたからです。で、「抜けてみて初めて(しこりじゃないと)わかった」と(呼吸器外科医)。「私の命は、あと何週間持つのだろう」と思いながらも、嘆いている暇もないぐらい身辺整理を急がせた犯人は、固形癌と見分けるのが難しいぐらいのどす黒い血の塊。左肺を押しつぶし、心臓も多少縮小させながら右肺へ押し出していたのは、約5Lの血(血胸)。
 数ヶ月つぶされていたのにも関わらず、左肺はほぼ膨らむことができたようだ。今日の夕方、乳腺外科の主治医が来て「(今日の)CT、別人のようだよ。明日、M(先生)が癒着やるってさ」と。そう、明日、癒着術を行う。去年右肺の気胸で2度経験したピシバニールという薬品を左胸腔内に注入する。胸水が溜まったらドレーンを入れて抜く方法もあるが、呼吸器外科の主治医M先生の「右肺があまり水が溜まらないのは癒着したおかげだから、(癒着術は)効果があると思う」という言葉を信じる。高熱が1週間ぐらい続くのも受け入れる。
 あー、書きたいことは一杯ある。在宅療養支援室のソーシャルワーカーとの面談(「最期はどこで迎えたいか?」など)のこと。なぜ私が、こんな状況でも「明るい」「強い」「前向き」と言われるのか。もう、消灯時間が過ぎ、キーボードを打ち続けるのは周りの患者に迷惑なので、今回は、この辺で。
 とにかく、ブログを読んでくれているみなさまに報告したいです。「私は、まだ生き続けていいみたいです!」
 病室で、医者や看護師相手に、「あと、2、3年生きそうですよ」と、ガハハ、ワハハと笑い続けている私。本当にみなさまの応援に感謝しています!