終末期をどう過ごしたいか

 前回の記事は、先週土曜(1/22)に、疼痛コントロールのために外来を受診しに来たはずが、突然襲われた「死にかけた」状況を書きました。忘れてしまう前に、その翌日に看護士と「終末期をどう過ごしたいか」について話し合いが持たれたことを書きたいと思います。
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 外科病棟にベッドの空きがなく、ERの大部屋で一夜を過ごした。朝一に夫が来て「死んでいなくてよかった〜(涙)」と。「(夜間)死にそうになったら、電話いくよ」と、相変わらずの減らず口の私。朝ご飯は少し食べられたけれど、前日の疲れや、相変わらずの胸の圧迫感は相当なもの。前日は殆ど体を動かせなかったけれど、徐々に足を動かす様子を見て、夫が喜んでいた。手足を動かせるようになっても、全身の疲労感はなかなか拭えず、午前中はウトウト。お昼頃に母とS吾が来たので、再び「お母さんは、S吾が6年生になる前に死ぬかもしれない」等と話す。妹も来てくれた。午後3時頃、研究仲間のTさんが見舞いに来てくれた。顔を見た瞬間、「もう死ぬかと思ったよ〜」と泣いてしまった。私の状況を話した後は、Tさんの仕事の話や和太鼓の話をしたり。確か「私はなかなか死なないよ」とか「Iちゃんの結婚式もあるし、2月半ばにはHMとBちゃんの博論発表会もあるし、そんな時に死んでいられないよ」とかも。私が疲れ始めた様子を見て、帰ることに。
 そんな1日の中、私にとって“軽いショック”を覚えた出来事が…。看護士から、自宅に戻る、つまり在宅で終末期をどのように過ごしたいかの話の時間を持ちたい、と。「あー、もうそんな状態なんだよなー、私は」と思っただけで、自分の体の状態を考えると素直に受け入れられた。が、自宅に戻ったら、ベッド脇にポータブルトイレを置いて…と考えていたのに(年明けから「そろそろほしい」と考えていた)、看護士Iさんから、「今のように(尿導)カテーテルを入れて過ごすということもできます」「なるべく心臓と肺に負担のないようにすることが、1日でも長く生きられる方法です」等という話を聞いて、「私の心臓の鼓動は、有限が確定した、あー、カウントダウンが始まったってこと?」と心の中でつぶやいてしまった。夫が介護認定を申請していることや、介護休暇を取るつもりでいることを話す。看護士Iさんからは、病院の在宅療養支援室のソーシャルワーカーと面談のセッティングをしましょうという提案。
 何というか、「いよいよだな」と、覚悟を迫られた日となった。
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 前回と今回の記事は、携帯のテキストメモに書き出して、携帯でネット接続してコピペしています。入院して1週間目の今日、やっと外科病棟に移りました。これからはネットが出来るテレビがある生活になります。明日夫が小型キーボードを持ってくるはずです。携帯でまとまった文章を書くのは、非常に難しいのを実感しています。
 次回の記事は、今度こそ、今回の入院(=死にかけたこと)が「不幸中の幸い」となったこと、乳腺外科の主治医が常々「癌は何が起こるかわからない」と言っていたことの、本当にそんなことが起こったこと(現在進行形)を書きます。