在宅酸素療法開始

ぼくの名は「いぶき」

 昨晩の風呂上がりから「ちょっと変だな」と思っていたのだが、今朝起きたら“エネルギー切れ”状態。動くと(トイレに行くとか)息が上がるのは上がるのだが、昨日以上。着替えるのも一苦労で、ソファーに座って、サチュエーションを測ると90%を切っていた。やはり苦しい。今日一日を何事もなく過ごすためにずっとソファーに固まっているしかないのか、それとも病院に行くべきか・・・。
 結局、病院に電話し、今から行く旨を伝える。1人でタクシーに乗って。結果を聞く直前に、会社を早退してきてくれた夫が病院に到着。採血の結果は貧血は特に悪くなく輸血するほどじゃない。レントゲンの結果、腹部には異常なし、肺は若干悪化していた。左肺が全部真っ白になっているかもしれないと思っていたけど、まだ正常な部分が残っていた。右肺はうっすら白い部分が出てきていて、もしかしたら左のしこりが右肺を圧迫している部分かも、という話。これは私の自覚症状とは一致しているけど、本当のところはわからない。まあ、とにかく入院して何かをするレベルじゃないから、自宅療養継続。ほっ。
 ただし、主治医の外来の日じゃないのに、せっかく病院に来たからにはと、「自宅で酸素吸入をさせてください」とお願いした。安静時は95%以上になるけど、動くと90%を切るレベルになったのだから、保険適用。すぐさま、業者に連絡してくれ・・・夕方には自宅に酸素吸入器と、携帯用(移動用)酸素ボンベが届き、設置。2〜3Lの処方のため、2Lで開始。友人と電話の時は2.5Lにアップ。しゃべれるしゃべれる。サチュエーション100%!
 昨日も作業があまり進まず、今日も疲れてしまって何もできなかったけれど、まだまだ自宅にいられるんだから、ラッキーだ。

謹賀新年 ―今年もよろしく!

 大分ご挨拶が遅れましたが、新年明けましておめでとうございます。年明け、みなさまはいかがお過ごしですか?「もう仕事モードに戻っているわよ」かな?(笑)
 元気で前向きになっていた日に、新年最初の記事を書けばよかったのですが・・・正直、徐々に胸が苦しくなってきていて、そろそろシビアな状況になるのではないか、という近況(自覚症状)です。いや、すぐ死ぬとは思っていないのです。食事も取れています。年末年始太りもしちゃったし・・・(苦笑)。年末にサチュエーションが85%になった時は焦ったけど、パニックにならないように呼吸を整えていたらしばらくして93%ぐらいまで上がったので、一安心。最近は寝起きにベッドでサチュエーションを測ると91、92%といったところ。指先(毛細血管)で測っているので、指先をこすったり少し動いたりしているうちに徐々に94%あたりになるので、のそのそとトイレに行くという感じ。でも、とにかく着替えるだとか風呂に入る、床に落ちた物を拾うなど、体全体を動かすと、呼吸が上がってしまいます。近所のコンビニにのそのそ歩きで出掛けて行って、片道2分、これも結構きつくなっています。それで、ささいな願い事である「自宅で普通の生活を送ること」が、近いうちにできなくなるんじゃないかという不安が一気に膨らんできました。
 それで、ここのところ、身辺整理を急ピッチで進めていました。ただ座っているとか、動きが少なければ、呼吸苦はありません。ただ・・・まったくもう、「積読癖」もひどいものだし、それに輪を掛けて「捨てられない」「整理整頓ができない」も名人級なので大変です。いまだに、新婚旅行の写真がどこにあるかわかりません。多分納戸のどこかでしょう。まあ、もうそういうのは夫に任せることにして、私はそろそろ子どもたちに残したいものの作成を始めようと思っています。
 5日から夫は会社、Nちゃんは保育園、6日からS吾が小学校開始。11日からS吾の給食が始まるので、その日からは子どもたちに見つからないように、Nちゃんが小学校入学時に使う手提げ、上履き入れ、体操着入れなどを作り始めます。布は年末に母に車いすを押してもらって買いに行きました。もう少しいいもの(私の趣味に合ったもの)を買いたかったのですが、見つからなかったし、疲れたので時間切れです。何とか気に入ってくれそうなものを作り上げたいです。一通り作っても、まだ体調が許すなら、再度布探しにチャレンジし、気に入った布を探したいです。また、写真整理も終わっていません。そして、「何かメッセージみたいなもの」は、今検討中です。家族には「早く子どもたちに何かメッセージを残しておくことをやったら」と、退院してから何度も言われたのだけど、まだまだそんな段階じゃないという思いと、それがどういう形で作っていったらいいのかわからなく(決められなく)、今に至りました。こればっかりはそんなに簡単な問題じゃないのです。今、ヒントをくれそうな本を読んでいます。その辺りのことは、手作り作業の合間に、気晴らしになると思ったらブログに書いていきたいです。
 新年最初は、今年の抱負とか書きたかったんだけど・・・(苦笑)。ここ数日、「それどころじゃないんじゃないか!?」という感じなので、今日の記事が笑い話だと思えたら、今年やりたいことをブログに書いていきます。今は、向こう1週間、2週間の間にできることしか頭にありません。
 新年明けたら、友だちともどんどん会っていきたいと思っていましたが(一昨日ぐらいまで)、今は子どもへ残したいものの作成に専念したいです。「会いたい」「会おう」と言ってくれたみんな、もうしばらく待っていてね。今の体調、12月の時のように急に回復するかもしれません。そう信じて生活していきます。

期待(予想)を裏切ろう、来年も!―感謝の年でした―

 先週から何だか調子悪くて、年末にかけて何か起こしてしまうかと不安の日々だったが、精神的なものだと言い聞かせて、大晦日の今日を迎えた。一昨日、昨日と続いた嘔吐、自分の判断で、昨夜から麻薬系の痛み止めを飲むのを止め、以前のロキソニンに変えたからか、今日は吐き気もなく、無事に夜を迎えられそうだ。
 10月から11月にかけて、たったの3週間で左胸の4分の3が固形癌(しこり)で埋まってしまうという、驚異的な進行を見せた私のがん。いつだったか、私が輸血してもらった日に、夫が呼吸器外科の主治医にCT画像を見せてもらい、私の命は週単位でなくなると思っていたらしかった。ましてや年を越せると思っていなかったらしい。今週月曜の通院の際に主治医に「昨日、夫に『年を越せないと思っていた』って言われちゃいました」と話したら、「周りはみんなそう思っていたよ」と(苦笑)。夫によく言われる。一番のんきに構えているのは「お前だけだ」と。いい意味で、みんなの期待(予想)を裏切った。いいではないか。
 先週の火曜に大学院の研究仲間数人が遊びに来てくれた。「忘年会を始めましょう」と乾杯した時は、その優しさに感動した。久しぶりのおしゃべりも楽しかった。
 翌日から倦怠感を感じ始め、鼻水やら全身を使って出す痰がひどくなり、何だか若干肩で息をしているような気もして、この1週間はどうにかなるんじゃないかと不安だったのに、今日という日が体調がいいと、また前向きになれる。体調だけじゃなく、今日は日本語教師養成講座時代の仲間と電話で話したことも、前向きにさせてくれた。電話を切って、明日から始まる新しい年も、前向きになれる日を多く作っていきたいと、強く思った。
 今年はジェットコースターに乗ったような年だった。研究助成金をもらったり、新しい仕事を始めたりしたのに、突如、家事もできない日が始まり、結局半年以上家事をしないことになるなんて。家事全般ができる夫がいたおかげで、私は何もしなくても、家が回っている。仕事が忙しい実家の母も、なるべく私との時間を持ってくれて、今日も来てくれ、新年を一緒に迎えてくれる。
 友人・知人にかなり励まされた。このブログを通して知り合った方にも、またブログを見て、励ましのメールをくれた方もいた。感謝で一杯だ。
 そうそう、つい先日、Amazonから届いた1冊。今年の初めに亡くなった指導教官の最後の仕事が本になったのだ。最後のページに、お母さまの挨拶が載っていて、本当にしみじみとしてしまった。その指導教官に(あの世に)呼ばれるのではと何度も思ったけれども、生存中も期待を裏切りつづけたんだから(苦笑)、やはり今回も先生の期待(予想)を裏切って、今生きていることを、ずっと続けていきたいと強く思っている。

今さら訊けない・・・第二言語習得再入門

今さら訊けない・・・第二言語習得再入門

通院日/Nちゃん、中耳炎・・・

 今日は通院日。ゼローダは、3週間朝晩服用したら、1週間休薬というサイクル。今日から2クール目に入るため、診察の1時間前には採血しておかなければならない。早めに着いたので、付き添いの叔母と一緒に院内のレストランでコーヒー。予約時間の30分前には外科の待合室に戻った。大抵、診察前に看護師さんに一度体調を聞かれるからだ。「あれから、どうですか?」と聞かれた。
 実は、この4週間の間に2回ほど予約外で診察してもらっている。今月に入り、夜中や朝方の咳込みがひどくなり、咳止めやら痰切りなどの薬をもらわないと睡眠が上手く取れないということで、乳腺外科→呼吸器内科というのを1回。大学時代の友人が来た日もあまり眠れず、精神的なものからか呼吸が浅くなる気がしたので、在宅の酸素療法(酸素吸入)をしたいという相談も兼ねていた。咳止めと痰切りの方は、以前処方された薬ではなく、コデインリン酸塩酸という麻薬系の痛み止め*1が咳も止めるということで、毎日飲んでいた痛み止め・ロキソニンから変更することになった。しかし、酸素の方は、サチュエーション(酸素飽和度)が90%以下にならないと保険適用にならないということで、断念せざるを得なかった*2。逆に“酸素吸入は不要”な体ということを確認できたので、精神的には安心できたのだが。
 精神的な問題だと思い、なるべくリラックスして眠るように心掛けて眠れるようになったのはいいのだが(咳止めも効果あって)、翌日から血痰(もしかして喀血?)が出るようになった。それが、1週間続いたので、翌週にはタッパーに吐き出したものを持って乳腺外科を受診。まあ、あまり乳がん患者には見られないけど、「気にするな」と。そうなのだ、毎日出続けるのは気になるのだが、量が多くないし(止血する必要もないだろうし)、どっちみち、対処療法が何もないのだから・・・。そして、「4週間後と言われていたのに、毎週のように予約外で出向いてすみません」と言ったら「何もないとは思っていないから、毎週来てもいいよ」と言われてしまった…ハハハ。それから10日後の今日、この10日間も血痰は続いていたのだが、出せば楽になるし、何といっても、息切れしないで歩けるようになっていたので、とても軽やかな気持ちで診察室に入った。
 が、入ったそうそう、主治医は困ったような表情。「頭、痛い」と何度も言って、「白血球値が低いんだよね」と。休薬週の後は、一番高くなくちゃいけないんだけど、今日の私、2300しかなくて、主治医は、向こう1週間休薬するか、減薬して服用を開始するかの判断に、何度も「あー、頭、痛い」と言いながら悩んでいた。「ガツンと(白血球を上げる)注射を打つってのはどうですか?」と提案したのだが、あれは、下がり切ったところで上がるようにするものだから、こういう場合は通常打たないとの説明。それでも、「打ってみるか・・・」なんて呟いては否定して、かなり悩んでいた。「あんたの場合、休んだらまずいからなぁ」なんて言いながら、やはり減薬して服用を続けてみて、1週間後に再度血液検査をするということになった。多分、その時点で白血球値が低ければ、注射を打つことになるんだと思う。数日前に右肺の真ん中辺りに違和感があったと伝えたら、やはり「気にするな」と。確かに、大きな体調の変化(悪化)がなければ万々歳という私の体だものね。
 入院している方のお見舞いに行こうと思い、病棟に出向いたら、お目当ての方、既に退院していたとのこと・・・。年内に退院したいと言っていたので、退院のニュースは嬉しかったが、お互い連絡先を交換していないので、もう連絡が取れないのかなと思ったら、なにゆえ10日前に出向かなかったのか、と後悔した。もう1人、気になっていた方(76才)は、1ヶ月前に既に亡くなっていたと聞いた。7月に私のことをかなり励ましてくれた方だが、8月中頃に生きる気力が無くなった様子を見せると同時に寝込み始めてから、私はどうしても声を掛けられなくなっていた。天国のご主人のもとに行かれたと思う。ご冥福を祈る他ない。
 帰宅後は睡眠不足を解消しようと思い横になったが、なかなか眠れず・・・。微熱もあるし、嫌な予感。でも、明日は大学院の研究仲間が遊びに来てくれるので、何とかいい眠りをして、楽しみたい。
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 Nちゃん、前日朝に「右耳が変。痛い。聞こえない」と言い出したので、母に耳鼻科に連れて行ってもらった。結果、中耳炎。この1週間、小児科に処方された抗生物質と咳止めを飲んでいたのに・・・。
 Nちゃんの通院に私はついていけないので、母と叔母と色々相談。通院などの子どもの世話ができないのが辛いところ。周りの世話になってばかりいる。
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 2週間前にAmazonでサチュエーション(酸素飽和度)を測る計測器を購入。毎日チェックしている*3。心拍数も同時に測れるのだが、この2週間で息切れしない理由がわかった。安静時の心拍数が2週間前は100以上あったのが、最近は80台になっているのだ!前の抗がん剤の心臓への負担(副作用)がひどかったんだと思う。

 

*1:麻薬系の痛み止めは2種類目。入院中から退院直後まではオキシコンチンという痛み止めを飲んでいた。入院中には副作用の吐き気がなかったのに、退院してから吐き気に襲われ、痛みは強くなかったから、ロキソニンに変更したのだ。

*2:通常95%以上が正常値。入院中は95%切ると、酸素チューブをつけてもらえた。

*3:スタスタ歩くと、90%になるが、安静にしてしばらく経つと93−97%になる。横になっている時は94%が多いかな。

子どものアルバム整理、始めました!(爆)

 恥ずかしい告白。
 この11年間、写真は撮れど、アルバムに整理するなんてことをしてこなかった。中高と写真クラブやら写真部に所属していた私。撮っていた時はかなりの量を撮っていた(愛機の一眼レフが壊れてから一気に撮る量が減ったのだ)。
 S吾が生まれて数年は、フィルム写真、その後デジカメに移行・・・。プリントされた状態の写真と、CDに入っている写真・・・。先日フィルム写真時代のものは整理し終え、今日はやっとNちゃん誕生までのCD内写真をチェックし、プリントする段階まで進んだ。写真屋で印刷・・・選びに選んだのに245枚!ふぅ、その写真のアルバム整理と、Nちゃん誕生以降のデジカメ写真の選定・・・。あと何日掛かるのだろうか・・・。Nちゃんのアルバム整理、年内に終わるのだろうか・・・?と、溜め息ついちゃう。
 やはりビデオと同じで、カメラマンは私の場合が多いので、子どもと一緒に写っている私の写真は少ない。
 遺影にする写真も選ばなくちゃと、2002年のシドニー研修に行った時の写真をピックアップ。今より大分若いなぁ、まずいかな・・・?(笑)
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 シドニーの風景をどうぞ(⇒はてなフォトへ)。
クイーン・ヴィクトリア・ビルディング

★ハイドパーク

kuwachannさんにお会いした!

このタンポポのごとく

 日本に旅行中(帰省中?)のkuwachannさんが、私に会いに来てくれた! (id:kuwachannid:kuwachann-2_0
 2週間前までの私の体調だと、我が家に来てもらうしかなかったけど、ここのところ絶好調の私(笑)、駅ビルのスターバックスに行きたくて、そこで対面することにした。次男さんもご一緒。私は車いすで出向くことにしたので、今日からたまたま我が家に滞在することになった母に連れて行ってもらった。
 肺転移がわかってから、kuwachannさんとはメールで連絡を取り合い、随分励ましたもらったのだ。罹患した部位は違うけれども、がん患者同士、安心して何でも話せた(?)。7月はいつも「悪いニュースです」という書き出しが多かったような気がするけど・・・(苦笑)。
 ブログでお顔はわかっていたのだけれど、実際に会ってみると、やはりイメージ通り『元気印』の女性!1時間半、母も交えてたくさんおしゃべりした。昨日から喉の調子が悪くて、ハスキーボイスで大変失礼しちゃったけど・・・。
 「しぶとく生きます」と伝え、最後はハグして別れた。今日のおしゃべりで、またまたパワーが湧いてきた!
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 退院して初めての外カフェ。半年ぶりの外カフェ、かな。