Nちゃんのお楽しみ会を見てきた!

「おかあさんの ともだち、Oちゃん」

 今日は、昨日と違って若干暖かくなるらしい。まだ朝なのでそれ程実感はないが・・・。先週の土曜も暖かかったのだが、体調もよかったので、Nちゃんの保育園行事に行ってきた。「お楽しみ会」という名の、お遊戯会。
 この地域は、小学校も保育園も秋に運動会があるので、正直今年は全く子どもの行事に参加できず、あきらめるのは慣れたものだから、今回も前の週までの体調を考えると行けないと思っていた。だが、いつの間にか息切れすることがほとんどなくなり、後は風邪などをもらわないかという心配だけになっていた。退院直後に、Nちゃんから「らいねんは うんどうかいに きてね」ということを言われ、正直1年後に生きている自信がなかったので悲しい気持ちになったのだが、行ける時に行かないでは後悔すると思い、今回はやはり行くことにした。
 幼児組全員による合唱、前の日には家で大きな声で歌えた歌を歌っていないNちゃん。周りにも歌えていない子もいたので、幼児組になって、大勢の観客の前で初めて歌うことに非常に緊張したのだろう。帰宅後も「だって、たくさん いたんだもん」みたいなことを言っていた。でも、3才児クラスの演目「小人のくつや」が始まると、一応何かしらセリフを言ったり歌ったりしていた。保育園全体でわらべ歌に力を入れているから、ストーリーに関係ないわらべ歌が挿入されていて、多少おかしかったが、子どもたちはそんなことに関係なく、自分のやるべきことを順番通りにやることに専念し、できると他の子がどんなことをしているかに関係なく(関心なく?)嬉しそうな顔をして退くから、その姿は本当に微笑ましかった。
 週末に年賀状の印刷(プリントアウト)をし、写真で1年を振り返る機会になったのだが、この1年のNちゃんの成長は面白かった。私が突然入院してしまったことで、私の手を煩わさないように“育って”しまったのと、私の留守中にお祖母ちゃん(私の実母)がかわいい服を揃えたりしたので、一気に“おしゃれ”に目覚めてしまったのだ。そして、保育園が大好きなので、保育園で言われた“お約束”を家で話したり(行儀や友だちを大切にすること)、わらべ歌を歌ったりすることも多い。まあ、それが私に似て音痴だからまた面白いのだが・・・(涙)。なにゆえS吾は音痴じゃないのにNちゃんは音痴なのか、と。 
 Nちゃんがお楽しみ会に出て、「もうここまで育ったのか」という気持ちになった。年の離れた2人目だから、保育園に入った時は気が遠くなる思いだったのが、お楽しみ会も残り2回か・・・という、少しばかり寂しい気持ちになった。
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 入院していた最後の頃は、余りにも暇で小説を読んでいたのが、退院後1ヶ月以上全く本を読まない生活が続いていた。最近になって、体調がよくなってきて、そうすると上手く気分転換も取れるようになって、やっと本を読む気になり、1冊を読み終えた。宮部みゆきの現代ものは初めて。本格的ミステリーとは違うと思うが、なかなか心温まるストーリーであったことは確か。

誰か―Somebody (文春文庫)

誰か―Somebody (文春文庫)

 ストーリーの核心とは関係ないかもしれないが、気になったフレーズを書き出しておこう。(でも、これ、核心かな?)

 「あなたは最初に、梶田さんご夫妻が、本当はあなたのことをどう思っていたか知りたいとおっしゃった。その答えは、とっくに出ているんじゃないですか。梶田さんが、二十八年前にあなたをかばったことを後悔し、あなたを――人でなしだと思っていたならば、どうして聡美さんの結婚披露宴に来てくれなんて言うでしょう。違いますか」
 野瀬裕子はまた泣いた。だが自分を責め、自分を苦しめて泣いている。さっきまでの涙とは違っていたと思う。
 彼女もわかっていたのだ。言われるまでもなく、心では知っていた。それでも、誰かの口からそう言ってほしかったのだ。
 わたしたちはみんなそうじゃないか? 自分で知っているだけでは足りない。だから人は1人では生きていけない。どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ。
(p.401-402)