わーい!一時帰宅中♪

 一昨日金曜にAT療法3回目の抗がん剤投与中に、40日続いたドレーン生活から解放され(気胸の癒着成功)、18日間続いた座薬生活(=高熱)からも解放され・・・今朝10時頃、乳腺外科医(主治医じゃない先生)が来て「体調どう?」「ばっちりです」「連休だし、火曜朝まで検査がないから、一時外泊する?」「はい!!!」と、急展開。
 夫に電話して、息子と迎えに来てもらうことに。11時には病院をあとにしていました。
 帰宅して1時間後には疲れてしまったのですが(苦笑)、新しいベッドに横になりつつ、今、夕食前。2泊だけだけど、十分自宅の生活を楽しみます!
 多分(今度こそ!)、18日の週に完全退院できるはずです!
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 筆不精が続いて、すみませんm(_ _)m

やっと熱から解放?

 筆不精ですみません。メールの返信も滞っていますm(_ _)m
 両方の胸にドレーンを入れたまま投与になった2回目の抗がん剤。やはり8日目に白血球値が500になり、翌日は好中球が0になり・・・発熱。1週間続いたのだが、今日は38度を超えなかった!もしかして収束かな?? それ以外にも、心拍数120超え(夜中トイレにのそのそ歩きで150!)があったり、左のドレーンは入れた当初から違和感たっぷりでロキソニンのお世話になりっぱなしで・・・つまるところ、痛みと苦しさと熱との戦いの1週間だった。熱があっても、左の胸水対策ということで、2回目の温水療法(人肌に温めた蒸留水を注入)を行ったものの、400ml入れたのに100mlしか抜けなく・・・ドレーンの先が詰まってしまったらしく、結局抜く羽目に・・・。「今回のドレーンの位置はおかしいから一度抜いてほしい」と訴えていたのが、別の理由から抜く結果に。3週間前に入れた後はやはり2L以上の胸水が抜けたので(抜け方にも問題があり、医療ミス一歩手前では?と訴えたのですが・・・)、一応の役割は果たしてはいる。来週か再来週に再度ドレーンを入れる際には、やはり医者を指名しようと思う(やっぱり主治医がいい!)。
 今回の発熱は、やはりドレーンを入れていたからかもしれないのだけれど、こればっかりは原因を突き止める方法がない。白血球値がかなり上がっても炎症反応を示していて、私は体内の何と戦っているのか不明なわけで・・・。ただ、とにかく気胸の治療を進めないと、いつまでも右のドレーンは抜くことはできず、つまり退院のめどがつかない状況は変わりなく、ついでにいうと、右のドレーンを挿入してから既に4週間にもなり、あまりにも長期間入れている状態もよくないわけで・・・。乳腺外科医は3週に1度の抗がん剤投与を遅らすことはしたくないと当初話していたが、多分今回は遅らせてでも気胸の治療を優先することになる。今朝、呼吸器外科医が来たので治療日を聞いたら、火曜実施ということがわかった。また胸くう内に接着剤のようなものを入れる癒着術を行う。わざと炎症を起こすので、また1週間ぐらい痛みと熱と戦うことに。今は酸素チューブつきだけど、酸素マスクになろうと何だろうと、乗り越えて、次の抗がん剤投与に臨みたい。7月のときみたいに左胸の半分くらいが水が溜まっている状況じゃないはずなので、あの死にそうな思いはしないだろうと思うとまだ気が楽。とにかく気胸を治して、早く退院したいのだ。
 入院して今日で90日目。ここ数週間は病室前にあるトイレ以外はあまり出歩かないので(たまにポータブルトイレにしてもらうし、レントゲンへも車椅子移動だし)、かなり足腰が弱くなっているのだが、快食・快眠だけは心掛けているので、元気でいる。
追記
 深夜に38度の熱。なかなか抜け出せないものですね・・・。とほほ

一難を避けられた?

 病気ネタから外れた話。いや、まあまあ関係あるかも。今朝から話題の某銀行の経営破綻の話。
 実は、2年前に偶然にも(?)手に入れたがん保険を預けていたのです。で、今回の乳がんの再発・転移が発覚したことで、実は7月中に解約していたのです。困っていらっしゃる方も大勢いる中、こういう発言はいかがなものかとも思うのだけれど、何だか一難を避けられたようで、これが治療にも「転移」してほしいものだと、つくづく思うのでした。
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 今日は抗がん剤(AT療法)の2回目の投与。治療のことは、また明日以降に報告します。

「完全退院」が遠のく・・・(号泣)

 8月20日に抗がん剤投与。骨髄抑制が強く出るため、またこの大学病院の基本的なやり方として、最初の抗がん剤投与後、約2週間観察のため入院が必要とのことだった。血液検査の数値次第で退院できるとのこと。白血球値の数値だと、一昨日にでも退院できるレベルだった。
 白血球値が800まで下がり、大部屋から個室に移動した日(投与後8日目)、朝から全くしゃきっとしなかった。白血球が少なくなったからといってこんなになるとは思わなかったけど・・・。何もしていなくても肩で息をしている、常に脈拍が110超え・・・。週末だったことや、私の場合、呼吸苦は胸水のせいだと思われていたからか、2日間は何の検査もなく過ごした。月曜の朝撮ったレントゲンから、右肺が若干しぼんでいる、つまり気胸の可能性を指摘され、夕方撮ったCTの結果から確定。再び、右胸にドレーンを入れられることに。白血球値が800台の2日間、何とか熱も出さずに無事通過という時、つまり、目の前に「完全退院」の日が迫ったのに、「退院の目途立たず」という状況になってしまったのだ。一気に谷につき落とされた気分に。「少し泣かせてください」って泣き始めたら、呼吸苦。「ああ、泣いたら苦しいんだった。泣いちゃだめなんだ」と、泣くのをやめ・・・。「先生!もう来週末には完全にハゲちゃうんだよ!」と悪態をつきながら、かつてあった右乳房の辺りにぐさっとドレーンを入れられた。癒着術をしても、数パーセントの確率で再発はあるとはわかっていたが、まさかここで再発するとは思ってもいなかった。
 その日はちょうどNちゃんの4歳の誕生日。処置30分前までS吾にオムライスの作り方を電話で伝授し、処置後1時間後には、Nちゃんに「お誕生日、おめでとう!」と電話で伝え・・・。
 そして、今日は、左胸から水を抜く。気胸だけだったら、酸素チューブは要らないはず。日中、ただベッドの上で座っているだけだったら、特に苦しくないのでつけていないことが多いが(一昨日、研究仲間が2人お見舞いに来てくれて、数時間おしゃべりもした!)、寝るために体を横にする時は別。酸素チューブで酸素を供給されても、リクライニングで斜めにしたベッドで寝ていると全身で呼吸している。やはり苦しい。そして、体重が徐々に増え続けている。
 昨日、朝一の回診時に「明日のレントゲンを撮ってみて、できれば水を抜いたほうがいいということになると思うから、心積もりをしておいて」と、仲良くしている若い研修医に言われ、夜8時半過ぎに外科の主治医が来て「左は半分ぐらい水が溜まっているから、やはり抜いたほうがいい」と・・・。
 また今日の午後から左右にドレーンを入れた状態になる。もうあり得ない状態・・・。でも、水を抜けば呼吸は楽になるはず。ここで楽になっておかないと、私の肺は機能低下を起こす。抗がん剤治療もできるだけ計画通りにやっていきたい。頭では理解している。でも、心と体の両方で現実を受け入れていく作業は、慣れたとはいえ、きつい。
 まあ、だからと言うわけじゃないけど、今日はお昼をベッドの上じゃなく、病院内のレストランで母と食べようと思う。もう入院生活も3ヶ月目に突入している。ここの病院食はおいしい方だと思うのだが、もう飽きて飽きて仕方が無い。がんばって食べているけど、時々食欲がなくなる(でも、何とか食べるけど)。手作りおにぎりが食べたい、モスバーガーが食べたい、ざるそばが食べたい、とにかく病院食以外のものが食べたい!病院内のレストランだもの、味がおいしいわけでもないけど、トロッカーと酸素ボンベ付きだから、一時外出もできないから・・・せめての現実逃避。
 こう書いていると、どんなに悲劇的かと読まれてしまうかもしれないけど、私は、もうすでにさばさばした状態。今日は書かないとやっていられないと思い立って、朝からブログを書いているけど、もう泣きようがないんだよね。あっ、私、基本泣き虫なんです。でも、もう、以前と同じ、ここで愚痴をこぼしこぼし現実を受け入れていくだけ。胸水を抜く・・・虫歯治療レベルと思わないと、な。

一時帰宅中 ―乳がん転移との戦い宣言―

 久々の更新です。
 6月28日にER(救急治療室)に入ってから、45日目の8月11日、やっと体に入っていた異物(ドレーン)から解放され、現在一時帰宅中。
 長いが、この1ヶ月半のあらましを記録しておく。
 前回のエントリーを書いた時点で、自分は乳がんが肺に転移したから気胸になったのだろうと予想はしていた。で、ER行きになる直前、既に右肺の完全虚脱(完全に潰れている状態)しているだろう体の状態で、乳腺クリニックに行って、「胸膜への転移」を告げられた。造影剤CT(短期入院した6月の時点)のCDを主治医がクリックしていくと、いくつもの白い病変が映しだされた。笑っちゃうぐらい、結構な量ではないか。
 母と一緒に大学病院にタクシーで駆けつけ、車いすを借り、お腹が空いたからと病院内のレストランで昼食を食べていた時、館内放送で名前が呼ばれた。個人情報保護の観点から全館に個人名がアナウンスされることはないと、壁にポスターが貼ってあったじゃないか?と(苦笑)。自分の名前が呼ばれたことにびっくりして、気管支に溜まっているのにそれまで出てこなかった痰が少し出て、医者に見せようとナプキンに包む。母が押す車いすで内科に戻ると、酸素チューブを付けられ、医者と看護師に囲まれながら「救急部」と書かれた部屋へ連れられて行った。
 あれから、7週間、ずっと入院していた。ERで行われた胸腔ドレナージ(胸腔内に空気が溜まらないようにドレーンで外に出す方法)で経過観察しても肺の戻りが悪いからと(実際はERで大量放出した痰も同時に観察対象だったと思う)、5日目に内科から外科に移され、10日目に胸腔鏡下手術。手術しても空気漏れが続き、しまいには、ドレーンを入れているのに再び気胸が発症し、手術後2週間後に今度は癒着術(胸腔内に接着剤を流しいれ穴を塞ぐ方法)を行うことに。胸腔内で化学炎症を起こさせているから痛みと熱が出始めているのに、横になろうとすると呼吸苦。気胸じゃない左肺に胸水が溜まり続けているとは前日のインフォームド・コンセントの時に告げられていたが、一晩でまた増えていたようで、横になろうとすると呼吸ができなくなるのだ(水がペットボトルに半分入っている状態を横にしてみてください)。「先生、苦しい」と訴え、夜、酸素チューブを付けてもらい、(右肺だけでなく)左肺にもドレーンを入れる処置が取られ、一気に1L以上の水が放出(真っ赤っかでした・・・)。前日夜に「胸水が溜まるとは、私はかなり末期!?」とかなりショックを受けていたのだが、呼吸苦の前では、「普通に呼吸ができることが幸せ」となる。実際は酸素チューブを付けられているのだけれど、癒着での痛みや熱で苦しんでいる身でありながら、夜9時ごろ顔を見に来た外科医に「先生、本当に幸せ」と笑顔で眠りのあいさつ。左右の肺にドレーンを入れられ、心電図をつけられ、尿カテーテルを入れられ、それでも人は『幸せ』と感じるのだ。
 1週間続いた熱が収まり、私としても呼吸が楽になっているから大分よくなっていると自信を持っていた。が、癒着して9日目に「左の水は収まっているけど、右の方に水が溜まっている。それが、今入っている管じゃないところに」と言われ、右に新しい管を入れられた後に古い管を抜かれ・・・。「気胸は収まっています」という、なかなか聞くことができなかった言葉も聞いたのがこの日か。これが7月31日。いや、この処置が施される前にも、管を若干動かし、水を抜いてもらっていたっけ。余りにも悪いニュースしかもらえないものだから、細かい記録(メモ)を書く気にもなれなかった・・・。
 この時点で、私の場合は転移治療はこの病院でやっていかないとまずいかもと思い始めた。気胸が治ったら、今までのクリニックで抗がん剤治療をしていきたいと思っていたのだが、なにせレントゲンなどもないクリニック。ここまでの1ヶ月の展開を考えると、また気胸の経過観察で大学病院に通院するとなると、二つを自分の采配で体調・スケジュール管理するのは大変だと実感し、クリニックに電話し、転移治療を転院して行いたいことを伝えた。週末を挟んだ2日後、夕方に左のドレーンを抜いてもらった。クリニックの主治医は、左も癒着術を行ってもらえと言っていたが(胸水対策でも気胸と同じ癒着術が取られる)、外科医は水が溜まらない状態なんだから抜くという方針、私としては、もうこれ以上苦しいのは『心が折れそう』なくらい受け入れがたいことだった。だから、「抜いちゃおう」と外科医が言ったときには、大泣き。「さっきまで子どもたちがいたんだけど、もう退院できないんじゃないか、日常に戻れないんじゃないかと思っていて・・・」と。先生の前でも泣いて、ドレーンが取れ、酸素チューブも取れ、身軽になって病室に残された私を気遣って、看護師が来て、一緒に嬉し泣きを。自分がもしかして近いうちに退院できるのでは?と一気に前向きになれた。その2時間後の夜7時ごろ大学病院の乳腺外科医が「頼まれちゃったよ」と笑顔で病室を覗いてくれた。クリニックの主治医と大学病院の先生が懇意の間柄で、電話かメールで私に使えそうな抗がん剤を検討していてくれた。「じゃ、これから全身チェックを始めるから」と、その後1週間の予定が組まれた。骨シンチのために、ドレーンは抜かないけれど、トロッカーと呼ばれる箱からは外されたことで点滴棒から解放され、この日、入院して初めて自分でシャンプーができた。翌日は、大学病院そばの花火大会を、駐車場に出て家族と一緒に楽しんだ。入院して42日目で初めて外の空気を吸った。そして入院して45日目の4日前、やっと右のドレーンを抜いてもらって、体内の異物から解放された。
 1ヶ月半、当たり前だが体だけが大変だったわけではない。ERで体験した「(痰で)死ぬのでは?」という恐怖、「Nちゃんが小学校入学まで私は生きていられるのだろうか?」という将来への悲観、1ヶ月間全くいいニュースがなく「このまま退院できないのでは」という恐怖心を経験した。そして、左のドレーンを抜いてもらってから、一気に明るくなった。ふと気付くと、「私、かなり強くなった?」と思うくらい、明るくなっている。
 右ドレーンが抜けてから、なかなか乳腺外科医に会えなく、3泊の外泊が許可された。明日の夜、乳腺外科医と今後の治療の話をする。既に、AT療法という抗がん剤は決定している。「肺は命取りだから」と、ガツンと癌を叩かないといけないのだ。2年前にやったより副作用がきついかもしれない。でも、やらないとそれこそNちゃんの小学校の入学式に出られないかもしれないと思う(医者から言われたわけでない)から耐え抜きたい。
 一時帰宅したことで、私の実家に行っていた子どもたちを急遽兄と母が送り届けてくれた。私のER行きで、夫が完全帰任することが決定し、やっと4人が揃った。まだ夫の帰国祝いもしていないからと、昨日の晩は、2階3階の家族と総勢9人ですき焼き屋に行った。私の完全な退院が決まったわけでないけれど、胸水がこのまま収まっていれば、近いうちに退院できるのではと思っている。今まで期待しては裏切られる結果ばかり受け取っていたから、あまり期待はしたくないのだが、今回は期待通りになると信じている。
 長期入院していると、心の管理が大変。大部屋だと、周りが具合が悪くなっていくと、こちらまで気分が落ち込んでしまう。でも、周りはほとんどが癌患者。外科の他に泌尿器科、整形外科の患者がいる病棟なので、様々な病気の人がいる。心の管理が大変なのは大変だが、自分だけが大変じゃないともわかった。とにかく呼吸さえ確保できれば、人は生きていける、癌ではそうすぐには人は死なないともわかった。
 これが私がこの1ヶ月半に経験したこと。明日から次のステージに進む。

入院して退院してきました

 日本中がサッカーワールドカップに熱中している中、私はというと・・・ 
 月曜に入院し、胸腔に穴を開けてドレーンをつけ、脱気という空気を抜く処置を行い、昨日退院してきました。月曜朝の診察時には先週水曜のCTの結果から入院を勧められたのですが、差額ベッド代が発生する個室しか空いていなく、入院を延期にしてもらうかどうか悩んだのですが、さっさと治療して早く社会復帰したいという思いがあり、入院することに決めました。が、入院を決めてから撮った造影剤CTの結果では、安静で治癒を目指すレベルまでに回復していることが判明・・・。個室代を払うのに安静入院はどうかということもあったし、狭くなった空洞からより早く空気が抜けるのなら、胸部に管を入れてくださいと申し入れ、やっと夕方処置してもらいました。既に抜ける空気は少ないので、胸に穴を開けるために傷がつくということも、担当医は気にしてくれましたが、そこは、既に右乳房を切除したという経験者なので、傷がつくことには躊躇はしませんでした。二晩管をつけっぱなしで、大分肺が膨らんだので、管を抜いて、一晩様子を見た上で「空洞が5mmだけ」(≒肺が鎖骨上まで膨らんだ)という状態になったのを確認して、退院してきました。
 現在、処置前の息苦しさはなくなったものの、去年秋になった後鼻漏(こうびろう)の症状と同じ症状が出ていて、気管支にはりついている痰を出したくて、発作的に全身使った咳こみがあります。こんなに激しい咳は気胸には悪いため、とにかく退院にあたって、咳止めやら痰を薄める薬を処方してもらってきました。薬を飲み始めて大分激しい咳はなくなったものの、本当は痰の排出のために咳をしたい“体”。気胸からくる苦しさではなく、その咳症状のために、退院してから今まで息苦しい感じがしています。
 気胸にはその発症の原因によっていくつかの種類があります。私の気胸は、多くの人がなる自然気胸ではないようです。嚢胞(のうほう)が見られないとのことでした。(昔の人が多く罹って気胸の原因になった)結核の画像所見はない、難病の肺リンパ脈管筋腫症の画像所見もない・・・。女性の場合は子宮内膜症が横隔膜や肺に広がり月経とともに剥がれ落ちて起こる、月経随伴性気胸の場合もあるけれども、私はホルモン療法で無月経なので、それも排除されると思います(未確認)。はっきりしているのは、右肺の中葉に虚脱が見られたということだけです。多分珍しいケースだと思います。「原因不明」ではあるものの、もしかしたら癌治療の薬剤の影響で肺にダメージがあって弱まってしまったのかもしれないという仮説をもらいました。ただし、乳がん治療の副作用でそういった話は聞いたことがありません。来週、退院時にいただいた造影剤CTをCDに焼いたものを持って、乳がんの主治医のところに行ってきます。呼吸器科の先生に「癌性のものが写っていませんでしたか?」と、突っ込んで質問したのですが、「先週の水曜の(造影剤なしの)CTと同じようでした。後は、(乳がんの)主治医にデータをお渡しするので、検討してみてください」とのことで、さてさてどうなることやら、という感じです。
 再発しやすい病気であること、今回家庭の事情で入院がすぐできなかったこと(先週)、また病気自体が呼吸困難を伴う可能性の高いものであることから、正直、夫には何度も「帰任してほしい」と訴えています。乳がんの治療では夫が不在でも大丈夫という自信がありましたが、今回の病気は子どもら2人を抱えながらでは、素早い対応ができないことが大きな問題だと感じています。つまり癌治療はコントロール可能であるけれども、気胸はいつ何時発症するかわからないコントロール不能な病気です。もちろん再発しないかもしれませんが、したらしたで、今度は手術になるでしょう。
 「安静」治療も大変です。退院してからも「向こう2週間はおとなしくしてください」と言われて帰ってきました。看護師には「料理もなるべくしないでください」と言われ、この2日間は心臓のペースメーカーを入れている76才の叔母に泊まり込んでもらって、家事をお願いしています。明日には再び実家の母に来てもらいます。そして、来週金曜に抜糸とレントゲン撮影をしてきます。そこまでに、気胸がさらに改善していること(肺が元に戻っていること)が確認できたら、私としてはさ来週には仕事に復帰したいと思っています。1ヶ月のお休みをもらいましたが、私に与えられた業務が滞っていることに申し訳ない気持ちがあること、また欠勤はそのまま収入減を意味します。色々な意味で、かなりやっかいな病気だと思います。
 S吾が林間学校に行っている最中に入院したのですが、林間学校から帰った翌日の振り替え休日にはお見舞いに来てもらったりしました。Nちゃんは、階上でお泊りもしました。子どもたちには大変な思いをさせたかもしれません。とはいうものの、いい人生経験だとも思います。子どもたちにはずぶとい人間になってほしいと思います。

「肺のパンク」気胸になりました−ただ今、自宅安静中−

 GW明けから疲れが取れにくくなっていたのだが、5月末からそれがひどくなり、6月に入りあっちこっち体が痛くなり(特に背中の上部と首の後ろ側)、それがどうにもこうにも改善されなく、仕事中もひどい睡魔に襲われ、何が何だかわからないという状態だった。そして、先週の月曜の朝、右肺に胸痛を感じ、あっちこっちと病院に行き(水曜は1日大事なミーティングに出席)、金曜に「気胸」と診断された。肺から空気が漏れて、縮んでいる状態。あまり不健康であることを公言するのもどうかと思うけれども、男性の闘病記は多いものの、女性のは少ないこともあり、情報収集のため、または女性の同病者と情報交換ができるかもしれないと思い、公にすることにした。
 「気胸」⇒ウィキペディア
 今日は脱気という処置をするため入院するかと思って、荷物一式を持って病院に行ったのだが、月曜(2日前)より若干改善されていて、さらなる自宅療養(=安静)になった。月曜に入院を勧められたものの、子どもの世話など手配が全部済んでいなかったので、帰宅して安静にしていた。自然治癒になるか、処置・治療を施すかのラストチャンスということで、今日レントゲン撮影した結果、改善。逆に空洞が小さくなったため、針を刺すのは危険とのことで、「自宅で安静」を継続することに。トイレとシャワー以外はなるべく動かないように、とのこと。正直、産後や乳がんの手術後より、大変。肺をなるべく動かすな、ということだから。再発率は30%以上のため、今回自然治癒しても、再発したら手術をすることを勧められるだろうし、私としても手術を選ぶだろう。リラックスすることが一番とはいえ、恐怖を感じる。先週の胸痛ぐらいだったら我慢ができるけど、一気に肺がプシューとなったらどうなるんだろう、と考えてしまうのだ。来週月曜の再検査まで、とにかく「安静」にする。
 先週の金曜から、夕食は2階の義姉が作ったものを、1階の我が家に運んでもらって、子どもらは2階で夕食&お風呂。今日入院すると思っていたから、昨晩から実家の母に泊まり込んでもらっている。みんな忙しいのに、迷惑を掛けている。
 もちろん、仕事を休んでいる。そして、台湾の学会発表も行くのをやめることに決め、航空便とホテルの予約をキャンセル。色々あるけど、とにかく今は周りに甘えさせてもらって、自然治癒を目指す。
 そんなこんなの近況です。いやー、参っちゃうね。