たいくつは悪くない

 夫の出張で、母子3人生活になって早数ヶ月。昨年10月、11月なんて本当にS吾にかわいそうなぐらい、赤ちゃん育児中心の生活だった(今もそうか・・・)。で、7歳の男児、それはそれで体力も余れば、つまらないことも多くなる。それは母親としては承知していた。が、周りの影響で「たいくつ」という言葉をS吾は覚えてしまったのだ。もちろん言葉通り退屈だったこともあって、3階の義母のところにちょこっと遊びに行くと「退屈だったのよね」と言われたことが度々。私も「そうなんです、退屈させちゃって。あ、預かってくれます?ありがとうございます!」ってな具合で「たいくつ」を理由にS吾を2時間ほど預けたり。まあ、そんなに回数は多くないのですが。
 で、昨日、S吾は「たいくつだ〜」と。で、「退屈は悪くない」という話をすることに。
 元々幼児期でさえも退屈するのはいいことだと考えていた。この場合、ヒマということ。S吾が成長する過程で、幾度となく義母の「子どもを退屈させちゃいけない」という言葉に、心の中で反発してきた。
 私が「退屈は悪くない」と考えるのは、ヒマがあってこそ、本当の意味で何かを生み出すんじゃないか、自分らしい何かを発見するんじゃないかと思うからだ。もしかしたら、私自身が自分のこと優先で(←自他共に認める)、で、結果子どもを楽しませようという積極的姿勢が足りないのかもしれないけど。
 金曜朝に夫がいなくなって、昨日と今日、息子は「たいくつだー」と言った。「退屈は悪くないよ。だって、時間があるから何をしようかなって考えられるじゃん。好きなことを自分で考えてやればいいだけじゃない」と話した。イソップどうわ 一年生 (学年別・新おはなし文庫)
 で、その言葉の後にS吾がやったことは、勉強。チャレンジと漢字練習。今自分がやっていることで進度がはっきり見えるのがチャレンジだったり漢字だったりするからだと思う。毎日1回(こくご・さんすうを見開き1ページずつ)をこなしていたのが、「今日は時間があるから2回分やっちゃうね」とか、「3月までに漢字ノートを2冊目になりたい!」とか。そして、Nちゃんが生まれてからは、夜一人の時間が増えたS吾が好むようになったのは、読書。授乳だ何だと、私が読み聞かせする機会が減り、絵本やら本を枕の周辺に何冊も置いて、その中の数冊を一気に読んだり、イソップ童話を60ページ読んでは、コロッと寝入るのだ。視力に影響があるんじゃないかと不安があるが、止めるのがもったいないぐらい集中している。「たいくつ」を通して、自分が何が好きなのかを知ってくれるといいなあと思う。保育園時代はお絵かきだったんだけど、最近は絵を描かなくなってきた。本当はそれも寂しいが「絵を描いたら」と言ったところで、そろそろもう描かない(描けない)時期になっちゃったのかもしれない。
 それにしてもS吾の「たいくつだー」という言い方は、私へのあてつけでもある。「今、つまらない!」というメッセージ。夫が不在であろうと赤ちゃんがいようとも、もう少しS吾の喜ぶようなことをしないとなあとは思っている。
 今日は午後から子供会の「6年生を送る会」という名のボーリング大会があった。「お母さんも一緒じゃなきゃやだ!」と言うので、粉ミルクを用意してNちゃんを連れて行ってきた。今日は5月の「1年生を迎える会」に引き続き2回目だけど、やっぱり好きな様子。今度Nちゃんの世話役(叔母?)を連れて、私もS吾と一緒にやってみようかな。大きなことはできないけれど、好きなことに寄り添うことだけでもしてあげなければ。