「お母さんみたいにはなりたくない」だとさ

トイレ掃除に励む息子!

 今日こそは、工作を仕上げる日!といいつつ、あと少しというところで、夫はバレーボールの練習に出掛けた。やっぱり父親がせっつかないとやらない(やれない)息子。簡単な作業にも時間が掛かりすぎ。で、私もついついイライラして、夫がいない間、見るに見かねて手伝ってしまった。で、さりげなく「これ、手伝ってあげるんだから、読書感想文、もう少し書き直さない?」と聞いてみた。一応「うん」と答えてくれたけど・・・。
 父親がいないと工作に取り掛かれない中、朝の隙間時間に「トレイ掃除の仕方を教えてあげるよ!」と言ってみた。喜んで「やる!やる!」という息子。1年前とは違って、最近、片付けが大好きになってきて「きれいになることは気持ちいい」が実感として分かってきている様子。ひとえに、夫が「お母さんみたいになりたいのか!」と叱咤しながら、時々机回りを片付けさせていたから・・・(涙)。私は聞かない振りして、一人ベッドへ向かうのだが・・・。そう、私は典型的な「片付けられない女」なのだ。で、息子を見ていると、手順やら方法というのを丁寧に説明すると、頭と体がしっくりくる感じで、夏休み中にトイレ掃除をやらせたいと密かに思っていたのを、今日やっと実行。夫は家事全般をやるのはやるのだが、トイレ掃除は「できない」と言う。ただ、男の人だから汚す場所というのがあるし、私だって好きでやっているわけではない。だから、夫がやらないなら息子にやらせようと思ったのだ。今はお腹が大きいので、奥のほうに手が届かなく、息子に「そっちの方、お母さんは届かないから、やって〜」「S吾がきれいにしてくれたから、本当にきれいになって、気持ちいいよー」とお願い&褒めちぎり。仕込みはOK!
 で、夫がバレーボールの練習に行っている間、息子がやりたかったのは、家族3人の勉強部屋(PC部屋)の片付け。とにかく、何でも「取っておく」魔だった息子が「捨て」魔になってしまったのだ。あんなに「これも取っておくのー!取っておくんだからー!」だったのに・・・。だからか、この数日間、ある絵本を一人で読んでいた。主人公の男の子が、母親からするとガラクタに見えるものも「すてちゃだめ!」と、一つ一つの物の思い出を話す姿。

ぼくとママのたからもの (こどものくに傑作絵本)

ぼくとママのたからもの (こどものくに傑作絵本)

 で、一方の我が息子は、その主人公と同じような立場だったのに、最近どんどん捨て上手になってきていて、逆に心配になってきたので「本当に、それ、捨てちゃうの?」と聞いてみたら「だって、お母さんみたいになりたくないもん」だってさー。息子がスパッと何でも「これも要らない」とかやっている間、私が捨てられたのは雑誌数冊(涙)。
 そういえば、片付け苦手な私が息子をしつけるのは厳しいと、ずっと前に購入していた本が、大ベストセラーとなった『新装・増補版 「捨てる!」技術 (宝島社新書)』の著者の下の本。 1年ぐらいベッドサイドに置きっぱなしにしていたのを(恥)、つい先日、寝付けぬ夜に再読してしまったのだ。ただ、その時には既に息子もお片づけが好きになっていたので、今更役立つかどうかは別として・・・。読んでみて改めて思ったのは「この本、読みやすい!」ということ。「説明力」「説得力」が素晴らしい。もちろん、お片づけの方法論として役立つこと、満載なのだが、その“片付けの思想”や“親のしつけ方”が参考になる。当たり前と言っちゃ当たり前のことが書かれているのだが・・・。下の3箇所、少し長文だが、引用をしておく。

 私は、お片づけとは、単に物をきれいにしまうことや、すっきりとした部屋にすることではないと思います。
 人は、単にヒトという動物であるだけでなく、物を使って生きる動物です。また「社会的動物」と言われるように、人とともに生きることに本能的な満足を覚える動物です。
 そしてまた、頭脳だけで生きてる機械のような生き物ではなく、手や足などの肉体をもち、それを駆使して生きる生き物です。 
 それらは、人を人たらしめている、とてもたいせつな要素ではないでしょうか。そして、「お片づけがきちんとできる」とは、「物とじょうずにお付き合いできる」「人とともにじょうずに生きていくことができる「手や体を動かすことに基づいて生きていける」というこの3つの要素がきちんと身についている、ということなのだと思います。
 つまり私は、「お片づけができる子にする」とは、「きれい好きの子にする」「収納じょうずな子にする」ということではなくて、「人として豊かに、幸せに生きる基礎を身につけた子にする」ことだと思うのです。だから、小さいうちに「お片づけ」を身につけさせることは、とても大切なことなのです。(p21-22)

 最後に、「手や体を動かすことに基づいて生きていける」という要素を取り上げましょう。 
 今の世の中は、頭だけで物事をわかったつもりになりやすいようです。(中略)
 どんなにすぐれたテクニックも、最初はやってみて、失敗して、検討して、またやってみる、というくりかえしから生まれたものではないでしょうか。頭を使って考えたことを、手や足を使って実践してみることから得られる発見もあります。いずれにしても、「頭」と「手や体」はどちらか片方では足りなくて、両方を動かすことに基づいてこそ、人は健やかに生きていけるのではないでしょうか。
 私は、いつも「手を動かすと心が動く」と感じています。頭でっかちになりやすい世の中だからこそ、子どもには、そして、もちろん大人になってしまった自分自身にも、手や体を動かすことに基づくことを意識させたいと願っています。(p29-30)

 子どもが出しっぱなしにしようとしたら、「はさみを置きっぱなしにするんじゃありません」。椅子を台にして高いところの物を取ったあと、そのまま行こうとしたら「椅子が出てるよ」。
 そのひと言をかけて、「今、戻しましょう」とタイミングを知らせます。
 (中略)
 そもそも、人は、だれからか指図されて、なにかをするのはいやなものです。自発的にするのはなんでもなくても、命ぜられてやるのは苦痛です。(中略)
 親子の関係がうまくいっていれば、子どもはそのうち、親に言われるのがいやで、自分からやろうとするようになると思います。
 そのためにも、親には、タイミングをはかる賢さも必要なのでしょう。子どもが今まさにやろうとしているときに「出しっぱなし!」などと指摘すると、「今、片づけしようとしていたのに」と口答えさせることになり、逆効果のこともあるのですから。
 ともかく、私は、親ができるしつけとは、しつこく言いつづけることではないか、とさえ思うのです。他人なら1回であきらめるところを、親だからこそ、しつこく言う。親自身がうんざりしながらも、しつこく口に出す。感情に任せないで、親としての自分を守りながら、しつこく諌める。
 しつこく言えば習慣になってくれる年齢のうちに、親は投げ出さないでがんばるしかないのかもしれません。(p45-48)

 この本を読んで、頭でっかちになるんじゃなくて、手と体と口を動かせってこと・・・できるか、私?