無事勉強会に出席

 昨日の輪読会の2日目、午後から出席して無事レポーターの役目を果たす。といっても、後半、鼻呼吸ができなく苦しかった〜。で、ほぼ徹夜状態で完成させたハンドアウトはなんだかんだとA4で12枚。風邪のため午前は休ませてもらったが、私が来るかどうか分からない状態で「来なかったら、みんなで読み合おう」という話が出ていたとのこと。今回(昨日の午後)、ここのブログを見てキャリアカウンセラーをしている同年輩の男性の方も参加してくれた。他にも出席したかったのに来られなかった方もいて、長期休みに何かテーマを掲げた輪読会を行う意義を改めて確認できた。学期中なかなか出席者が集まらなくて(私もこの半年出られなかったが)続ける難しさもあるのだが、学期中に人が集まって何か読んでいく中で、次の集中勉強会のテーマを見つけることもあるので、やっぱり続けていく意味があるのではないかと、今まとめ役をやってくれている方と話す。4月以降もこの本を続けて読んでいこうと決まった。とりあえず4章と8章。
 今回私が担当したのは『分散認知―心理学的考察と教育実践上の意義 (現代基礎心理学選書)』の第7章。メタ認知や相互教授法(reciprocal teaching)で有名なアン・ブラウン(Ann Brown)らの教室デザインの話。私は、仲間(クラスメート)と行うペア/グループ活動がうまくいくのはどういう場合か、本当に「三人寄れば文殊の知恵」かどうかに興味があり、修士論文研究では日本語学習者が読解文を1人で読む場合と、2人で読む場合の理解結果(記憶表象)を比較するということを実験的手法で行った。日本語教育(研究)では(も?)「協働学習」というマジックワードが溢れていて、特に私が扱っている読解では実証的な検証が行われてこなかった。協働学習の読解分野では必ずアン・ブラウンらの相互教授法が取り上げられる。1984年の論文は必須。「教授介入実験として古典的」(『授業が変わる―認知心理学と教育実践が手を結ぶとき』)と評されるもの。しかし80年代の終わりから、特にブラウンの1992年の論文以降「研究者が現場(実践)へ」「実験的手法で統制群を設け比較研究するのではなく、実践の改善へ」という大きな流れも出てきたようで、今回輪読会で読んだ本(原著は1993年出版)は、その内容を日本語訳で読めるチャンスにもなった。これまでも、放送大学のテキスト『学習科学とテクノロジ (放送大学教材)』『学習科学 (放送大学教材)』などに取り上げられたブラウンら研究者たちの取り組みは読んでいたが、引用ではなく彼女らの理科教育での取り組みを本物で読めたこともよかった。ただ、邦訳の問題から背景知識が少しでもないと逆にわかりにくくされてしまう箇所もあり、ハンドアウトにも脚注をつけ若干の補足説明、そしてリポート後のディスカッション時にはこういう取り組みがうまくいく、特に評価において、学校風土(文化)が必要なことは日本の学校教育でも言われていることも補足しておいた。
 今回ブラウンらの章を読んで、個人的によかったのは、学校教育はどうあるべきかという点がきちんと論じられていて、「知的初心者(intelligent novices)」を育成する場であることに十分納得させられた。先月息子が入る小学校で受けた入学説明会での疑問が少しすっきり。公教育の問題が叫ばれて久しいが、親である私自身が少し気をつけていくポイントが見えてきた感じだ。
 一方、私の研究がどこに向っていけばいいのか、やっぱり悩ましい問題だとも再認識(涙)。
 今回の勉強会にあたって、補足説明に使ったもの、ざざっと目を通したものは
行為としての心
対話の中の学びと成長 (認識と文化)
社会文化的アプローチの実際―学習活動の理解と変革のエスノグラフィー (シリーズ社会文化的アプローチ)
文化と歴史の中の学習と学習者―日本語教育における社会文化的パースペクティブ (日本語教師のための知識本シリーズ4)
発達と教育の心理学的基盤 (放送大学教材)
教授・学習過程論―学習の総合科学をめざして (放送大学大学院教材)
「わかる」ということの意味 新版 (子どもと教育)
認知心理学からみた読みの世界―対話と協同的学習をめざして
授業デザインの最前線―理論と実践をつなぐ知のコラボレーション
教育研究のメソドロジー―学校参加型マインドへのいざない』など。