コミュニケーションのあり方に悩む

 3日後に迫ったワークショップを前に、今更ながら、ワークショップに関する本を読み始めた。

ファシリテーション革命 (岩波アクティブ新書)

ファシリテーション革命 (岩波アクティブ新書)

 7月の時点で、同じ著者の『ワークショップ―新しい学びと創造の場 (岩波新書)』は読んでいるのだが、それ以降、他の文献を読んだり、メールでのやりとり、そしてお盆に帰省したりしていたら、棚の一部に鎮座していた(という程の重量感はなし)。ワークショップの主催者側として、メンバー間でメールで意見を書いたり、疑問を提示したりするのだが、私のスタイルって、人から見たらやっぱりきついのだと思う。矛盾があるのではないか、違和感があるけれども狙い(意図)は何?などと議論したい派なんですよね、私は。でも、それはメールだけじゃうまく伝えられないと再認識。これでいつも失敗しています。学習しない私・・・。ズバズバにしか聞こえないと思います、相手(読み手)は。嫌になっちゃうと思います。わかっちゃいるけど「今回のメンバーはわかってくるかも」と期待したりして・・・と、落ち込んでいたのですが、アプローチを変えてみようと思い「そうだ!あの本、まだ読んでいなかったっけ」と思い出したのだ。気分転換、方向転換・・・
 この本は、主にワークショップを主催する人に向けて、「ファシリテーション」という考えの元に、その意味や方法的なことを具体例を入れながら、わかりやすく書かれた本。
 「はじめに」から、本の趣旨を・・・

 (略)
 人が集って何かをしようとする時、一人ひとりの中に眠る思いを、どうしたらもっと引き出し、お互いに活かし合い、創造的な成果に結びつけることができるのだろうか。
 本書では、このような問いかけに答える「ファシリテーション」という新しい技法について取り組む。
 (略)
 「ファシリテーション」とは、もともと「促進する」「助長する」「(事を)容易にする」「楽にする」という意味の英語「ファシリテート」(facilitate)の名詞形である。したがってその機能を担う人、「ファシリテーター」とは、「進行促進役」というような意味だが、ただの司会や進行役ではない。今、時代の転換期の中で、新しい重要な役割を担い、様々な世界で注目されている。
 ファシリテーターは、教えない。「先生」ではないし、上に立って命令する「指導者」でもない。その代わりにファシリテーターは、支援し、促進する、場をつくり、つなぎ、取り持つ、そそのかし、引き出し、待つ。共に在り、問いかけ、まとめる。
 そこに関わる一人ひとりが、自分自身で考え、学び、気づき、創造することを、促したり、容易にしたりする。個人やグループ全体が、お互いに安心してのびのびと探求できる場を作り、自ら活性化するのを助ける。その場に参加している人一人ひとりの主体性や当事者意識を育むのだ。ファシリテーターは、「支援者」であり、新しい誕生を助ける「助産師」の役割を担うのだ。
 (略)
 この変化の中で、上に立って教えたり命令したりするだけの従来型の大きくて強いリーダーは、もはや時代遅れになりつつある。命令したり引っ張ったりの「指導」だけでは、一人ひとりの主体性も育まれず、人も組織もなかなか活性化しないことがわかってきた。個性を育み、多様な個性を尊重しながら、チームとしての力を発揮するような、引き出し、促進し、まとめていく「支援」型のリーダーシップが必要になっている。
 (略)
 一口に「ファシリテーション」と言っても、冒頭に挙げたように非常に幅が広い。(略)
 但し、一般には、参加・体験・相互作用を重視した学びや創造の場である「ワークショップ」の進行促進役を「ファシリテーター」ということが多い。一方的な知識や情報の伝達ではなく、「ワークショップ」的な「参加型の場」を創ろうというニーズは、最近、企業・行政・市民団体・学校など様々な世界に広がっている。その「ワークショップ」的な場を作り、上手に回す「ファシリテーション」の機能、そしてその役割が担う「ファシリテーター」が今、あちこちで求められている。
 (略)

 前著もそうだが、私としては、この著者の「バンザイ的思考」に少しついていけないところがある。しかし、ワークショップを初めて主催する側に立ったときに、どういう点を気を付けなければいけないかを確認するのに非常に役立つ本であった。(本当に細かい点まで書かれている)
 「ファシリテーター」という視点は、大学院に入学してすぐに突入していった教育実習で考える機会があり、頭では十分理解している。今回は、相手が同業の人で、しかも参加者の半分以上は知っている人たちである。お金も取る。
(で、色々悩むんですよね。嗚呼〜)