哀悼痛惜

 12日締め切りの投稿論文、ぎりぎりの時間になったが無事投函することができた。まあ、内容はボロボロなのだが、このデットラインに向かって色々考えたことで、今回リジェクトされても次にチャレンジする下地作りにはなったと思う。見直す余裕がなく(直前まで表を作ったり書き換えたり)、後から読み直したら、大きなミス(というか、これは確信犯的。1ヶ所直したら全面書き直すはめになる)、小さなミス(語句の入力ミスだったり、1文が長すぎてねじれていたり)盛りだくさんの論文となった。でも、すがすがしい気持ちでいる。ずっと手元にあった原稿だったので。そして、今回はどうしても出したい出来事も重なってしまって。
 年明け早々近しい人が亡くなった。そのニュースは、論文が出来上がる前の「この内容のままじゃ、投稿できない〜(涙)」と思っていた時に、回ってきた。そんなに長くはないというのは覚悟はしていたが、「まさかこんなに早く逝ってしまうとは・・・」と。信じられない、信じたくない気持ちと、自分の内部に何が起きるのかという不安・・・どこに心を持っていけばいいのか、途方にくれたりしながら、「最後の最後まで諦めない、とにかく出すのだ!」と言い聞かせ続けることで精神安定を保った。先週は全身疲労はないのに、左肩の1ヶ所だけ痛みがあり、その人が肩に乗っかっているのではないかと思ったり(その証拠に、出した後は痛みが取れた!)。
 「そういえば、明日から甥っ子(2階の中3)が、NZに短期留学に行くんだ」と思い出し、今日は職場に寄った後、神社に出向いた。甥っ子にお守りを買うというのが主な目的だが、亡くなった人のことや、その他色々あって、人生40年で初めて「神様、おねがい」的な気持ちになったのだ。
 平日の午前、境内は人もまばら。お財布の中には小銭は少額しかなかったので、千円札を賽銭箱に入れて、何が何でもこれ以上悪いことが起きないこと、家族や友人の健康をお願いしてきた。その後、社務所に寄って、甥っ子のために旅行安全祈願と学業成就のお守り2つを購入。
 昨日まで疲労困憊状態だったのだが、もう動かなくてはいけないようだ。悲しみは悲しみで、色々手続きやら何やら、進めなくてはいけないようだ。現実の世界はノンストップなのだ。もうすでに周りは動いている。私も前に動かなければいけない。悲しみは仲間と分かち合おう。悲しいことは悲しい。悔しいことは悔しい。そして、この春にでも京都に墓参りに行こう。