盛りだくさんの木曜日

 前回の記事(日記)にコメントくださった方、2年半前の私のつぶやき(http://d.hatena.ne.jp/ayumi_a/20050817/p1)も是非読んでみてください(コメントも、ね)。夫の海外出張の最中、ワークショップの主催者側に回って忙しくしていた時期でもあり、大好きなTHE YOUTHのライブにも行きたくて、S吾を実家に預けていた時のものです。たまたまとある語で日記内検索をしていてヒットして出てきた記事で、読んで笑っちゃいました。時間の使い方は永遠の課題です(苦笑)。
 さてさて、ここ数日は・・・。火曜提出締め切りのポートフォリオ(私の指導教官の指導方法の一環)が、完成目前に消えて・・・。一文の主述を入れ替えた後「保存」のポチッで・・・保存できなく、その後PC内やUSBメモリー内を探すも見つからないとわかった火曜の夜6時半(涙)。仕方がなく、翌日に延ばしてもらうメールを書き、で、水曜も2時間しか昼寝しないNちゃんの世話に追われながら書き直し。あと少しの時点で家事仕事をし、寝かしつけながら今朝5時に目覚めて・・・(涙)。やっと7時に提出。毎度のことながら、これまでの大学院生活を振り返ったり、向こう10年の未来予想図を描くのは結構しんどいこと。いや、修士課程の終わり頃や博士課程に入った頃は楽しかったような気がする・・・(苦笑)。しかも、2年振りに書いたのだが(年4回ぐらい提出だったはず)、業績欄は何も増えない一方で、「執筆中」なる項目は2年前のままに!(苦笑)
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 今日はNちゃんの手術1ヶ月前の眼の精密検査があるということで、8時には実家の母が仕事を休んで来てくれた。付き添ってもらうのだ。予約は午後からなので、午前はS吾の学校で行われた大縄飛び大会を見に行くことに。その間、3階の義母が来て、鬱の愚痴を聞くことに。どうしても忙しい合間に聞く話ではなく、ついつい「お義母さんはいいですよー。だって〜〜〜」と言ってしまった後に、夕食作りに戻る・・・。鬱になると、自分がどれだけ恵まれているか*1わからなくなるのは、私も体験済みなのだが、鬱真っ最中の人にそれを直接的な形で話してもダメだし、言い方も注意しなればいけないのに、ついつい言ってしまった・・・。ましてや、本人も「わかっちゃいるけど」と思えることでも“話せる環境”がほしいのだから・・・。人生修行中の身(>私)。
 で、夕食のシチューも出来あがり、バタバタとS吾の学校へ。ここ1ヶ月ぐらいクラス一丸となって頑張ってきた大縄。1分勝負を2本。この2分間に何人が飛び込み抜けていくかをカウントするのだが、去年と同様4クラス中3位。「ビデオを撮っておいて〜」とS吾に頼まれたので、一応ビデオに撮った。レンズを通していても、こちらも力が入ってしまった。夜には、S吾が熱心に見ていた。ホント、時代性を感じる。自分がビデオを撮っておきながら言うのも何なんだが、今の時代、自分の姿を撮られるのは日常的で、それをすぐさま見るのもお手軽。自分の姿を見るのは恥ずかしくなく、「実体験」を、もう一人の自分が「体験」する。「1回目、(縄に)引っ掛かったね〜」と言うと、「緊張していたんだよー」というS吾。そういう本来の意味での「実体験」と、その直後に、その自分を含めた全体としての活動を見直す「体験」。私(たち)の時代と、どう『子ども時代の記憶』っていうのが違ってくるのだろうか。また、我が家のようにビデオやカメラで映像を収めることをしないで、「この目で見る」というのを重視している家庭もある。その家庭の環境の違いで、どう『記憶』に違いが出るのだろうか(将来、どう語られるのだろうか)。まあ、テレビタレントなどのトークを聞いていると、幼い頃の体験をまざまざと語り出す姿を見るにつけ、記憶媒体が外部にあるかどうかはさして問題ではないな、と思うのだが。
 Nちゃんのことはまた後日。

*1:これは他人と比べて、ということでない。今の環境にあることをありがたいと思う気持ち。