父子で工作、がんばる!

徐々に形になってきた手作り原爆ドーム

 昨日「これってもしかして陣痛?」という気がしたことから、赤ちゃん部屋になる和室の片付けやら、息子が使っていた肌着その他洋服を整理し、一部洗濯したり・・・お腹、張る張る、足、むくむ。今まで“先延ばし”したつけが・・・。
 で、その間、夫と息子は昨日の続きで、原爆ドーム作り。夫も週末しか集中して息子と向き合えないから、休みなしで「お父さんの自由研究じゃないんだから、休むな!」と叱咤激励して・・・。いつものことだけど、夫のこの厳しさ、いいんだか悪いんだか、と足を高くしてゴロンとしながらそのやり取りを聞いていた。まあ、夫がそう簡単に変わる訳でもないし・・・。で、ここまで“親掛かり”でいいのか悪いのかと、どっちかなぁと思っていたのだけれど、もしかして夏休みの宿題って親子のコミュニケーションのため、あるいは親が普段忙しくて子どもに見せられない姿勢・特技を伝えるためにあるのかも、とも思えてきた。もちろん、今年は親子で「初めての小1」だったものだから(と私自身が妊娠中だし)、何事にもバタバタ、その場その場でしのぐしかなくて「自発的に」「子ども自身の考えで」というような余裕もなかったのだけれど、学校ではできないことや教えてもらえないこと、学期中に家庭でもできないことを、夏休みに親子でやるということを考えると、“親掛かり”も捨てたもんじゃないなと思えてきたり。但し、父子旅行前に何とか完成させた読書感想文にしろ(もう少し直させたいんだけど・・・)、今回の工作(=自由研究)にしろ、認知心理学的な発想でいうと熟達者が未熟者に「モデルを示す」という理屈を後付けして、息子自身には「来年からは自分でできるようにするんだよ!」「お父さんがどんな工夫をするのか見ておきなさい!」と何度も言っている。もちろん来年は来年で手助けはすると思うけど(夫が海外出張中じゃなければいいんだけど・・・)、今年の“親掛かり”がどう影響するかは、誰にもわからない。まあ、親は親で各家庭で違うから(もちろん夫婦間でも違うし)、結局は誰からの指図や権威者の声を気にすることなく、親子で満足すればいいのかも。
 写真は、骨格は夫が作り(針金、ボール紙の筒、牛乳パック使用)、息子が模様や色塗りをした原爆ドーム。まだドーム自体も途中だけど、段ボール製の“箱庭”にドームの周辺の風景も作ったら完成(なのかな)。私はノータッチなのでよくわからないけど。