「九九を知りたいんだよね」と

 午後の散歩は買い物に。息子が欲しいものを探したのだが見つからず、本屋に寄って帰ろうということになり、絵本売り場へ。私が読ませたい絵本や童話は、全く無視。こればっかりはうまく行かない。で、息子は赤ちゃん向け絵本の後に、隣接しているドリル売り場へ。家であまり勉強させる時間が持てないのだが、息子は公文に通うことなどを嫌がり、家や学童でやりたいらしい。今日は「九九を やりたい」と言ってドリルを指差したのだが、私が「まだやらなくていいんじゃない?だって足し算や引き算のドリルがあるでしょう?」と言うと「だって、九九がどういうのか しりたんだよね」と返答。こういう話し方をされると『やりたい時が教え時』かなと思い、1冊だけ買うことに。他にも「Mちゃんが これ がくどうで やっているから ほしい」と言ってねだられたが、それは今持っているドリルが終わってからという約束にした。
 時間は前後するのだが、散歩に出掛ける前、私が腰痛だと少し横になっていた時に、英語の勉強の話になり「おしえてくれ」と言って紙と鉛筆を持ってきたのだが、息子のいう“英語の勉強”というのはABCを書くことらしく(これはもう公文に通っている子の影響なのだと思う)「そういう勉強はしなくていい」と放っておいたら、漢字を教えてくれ、と。だから「食べる」と書いてみた。「わからない」と言うので、「じゃ、これは」と言いながら「食べる」の前に「パンを」と書いたら「たべる!」と答え、10字ぐらい、このような生活語彙の読み方練習になった。「ジュースを飲む」と書けば、「飲」という文字が読めなくたって(もちろん書けなくたって)「のむ」という読み方と意味が小1でもわかるのだ。息子は本当に嬉しそう。なんだかこの紙を宝物にしたいみたいなことを言っていた(実際はゴミ箱行きかもしれないけど)。私自身、本来ドリルよりもこういう学び方をさせたいのだが、本当に私に余裕がないとできない。先日も以前お風呂でやっていた算数の文章題と同じ傾向の文章題のドリル帳を見つけたので、買ってきて見せたのだが、反応は興味なし。気分もあるだろうけど、子どもが相手だと勉強の内容や与え方は難しい。
 親としてそんなに焦っているわけじゃないが、学校の勉強って本当に進むのが遅く、息子に適した勉強内容や方法が他にあるんじゃないかと少しばかり心配している。学校の勉強も遅いとはいえ、息子にとっては大切なものであることもわかっている。例えば「さんすう」では、足し算(引き算)を理解させるための前段階なのかな、合成分解というのをずっとやってきている。これは算数という教科指導法を知らない私はやってこなかったこと(既に足し算・引き算ができる息子に役立つのかは不明)。まあ、宿題がやっと「10」までの数字の書き方練習からこの合成分解になり、これも土曜参観で「10の合成分解」がやっと終わったという遅さで・・・。また「こくご」もやっとひらがなの「わ/を/ん」までの書き方練習が終わったらしく、これはこれできちんと書く練習にはなったようで、忍耐力のない私にはできなかったことを学校で教わって、少しは上手に書けるようになった。これまでの宿題は、ひらがなの練習と教科書の音読。次はカタカナになるのかな???そうすると、漢字はいつになるんだろうと、学校の勉強も認めつつ、多少進度の遅さが心配になる。この「遅さ」つまりスピードなのだが、誰かに標準を当てているのだろうけど、ちょっと息子には遅いような気がしてならないというのが、今の心境。
 で、今日は「九九が知りたいんだよ」という意気込みを買ってあげたいと思った日。「九九をやりたい」じゃなくて。