風邪気味

 本格的な風邪だーと昨日と今日の午前中は思っていたのだが、風邪薬が効いているのか、夜になってみると、降格させて「気味」だな、と。月曜は息子の保育園を年内最後の日にして、日中は49日の返礼品を買ったり、姑の誕生日プレゼント(今日76歳に!)、実家へのお土産(歳暮みたいなもの)を買ったりして(*保育園の先生には事情を話した)スイミングに行く時間に合わせてお迎えに行った。スイミングから帰ってきてすぐにCATVの電話の契約をして、7時過ぎの鈍行列車に飛び乗って実家に帰省。27日(火)は父の3度目の月命日で、久しぶりにお寺にお参りに行こうと決めたから。お骨を預けていて、49日法要後私は初めて訪れることに。ここの家から北に70キロにある実家は非常に寒かった。25日(日)のこちらの49日法要の真っ最中からくしゃみが出始めたのだけれど、実家(とお寺!)の寒さに体がついていけなかった模様。向こうでは叔母の所にこっちの返礼品を届けに行ったり、父の形見分けのための準備(父の部屋の大捜索)をしたり。妹も帰ってきて一緒に。「こどもルーム」(=学童保育)の入所申込書を入手していなかったので市役所に行くために、昨日の午後にこっちに戻ってきた。ストーブをつけてホットカーペットに寝転がろうと、暑いお風呂に入るまで体の冷えは取れなかった。冬はお風呂に限るね。
 さて、今日は姑の誕生日でもあるが、年の瀬恒例のお年玉用の新券に両替したり、お年玉袋を買ったりして。途中ファーストフードに入って手紙を2通書いた。久しぶりのアナログメール。ちょっと凹んでいたから、少しネガティブワールドだったかも。こっちの49日関連の出来事、そして実家に帰って愚痴をこぼしても叱咤激励されるだけだったので(母に「受容」されることはなく)、私のもやもやとした気持ちを解消できずイライラは募るばかり。そこへきて、私一人が先に外出し夫と息子が姑にプレゼントを渡していたのだが、姑から出先にお礼とともに不良品であったことを伝えられた。わざわざ携帯に電話しなくても・・・ぶつぶつと、私が買ったものだから私がどうにかしなくちゃいけないのはわかっているのだが、何かもう「どうしてこうなるの?どうしてこう重なるの?」ってな具合。夕方店に出掛け、色違いのダウンジャケットに交換してもらい姑も嬉しそうだった。でも、“私の”気分は晴れず。うーん、どうにか気持ちをすっきりさせて今年を終わらせたい!と、少しばかり神様に祈りたい気分だ。
 それにしても、阿久悠さんの歌の世界にどっぷり浸かった夜(といっても最初の頃、寝ていたんだけど)。私が就学前から中学時代までの「あの頃」。知っている歌も多く、テロップを見ながら歌っていると、息子に「どうして知っているの?」と聞かれた。ちょうど「北の宿から」を気持ちよく歌っていた時。「津軽海峡冬景色」もピンクレディーの殆どの歌、そしてジュリーの「勝手にしやがれ」、西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」、杉田かおるの「鳥の詩」・・・殆ど歌える。うーん、懐かしい曲ばかり。ジュリーの「サムライ」って曲の「片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を」という部分が子ども心にもカッコよさを感じ、そして彼の歌い方に見てはいけないものを見てしまったとドキドキしてしまったという記憶がよみがえる。阿久さんのインタビューの言葉が印象的だった。今の時代オリジナリティーのある言葉がない、独特の語り口が敬遠される時代だと。確かに。