レジュメ担当終わり

 先週と今週、レジュメ発表。心理学(的)研究を社会文化的アプローチで、と提唱しているワーチの『心の声―媒介された行為への社会文化的アプローチ』の序論と1章を担当。無事終わった。結局輪読するから、レジュメ担当するから、と同じ箇所を4、5回読んだことになるが、読むたびに理解が進むのと、筆者のこだわりはこうだろうなあと思いを馳せるぐらいの読みになってくるのを実感。そして、私は自分の担当箇所をわかりやすく報告したつもりでも、今度は2章の担当者の発表を中途半端な読みのまま聞いていたら、さっぱりだということがわかった。当たり前といっちゃ当たり前、個々人の準備段階によって同じような発表でも違って聞こえるということ。面白く感じたのは、筆者が引用以外でカギカッコ(「 」)を使っている箇所(用語)の意味を考えること。立ち位置・思想が見えてくる。
 ゼミ後に、研究会の事務の仕事を済ませ(アルバイト代もゲット!)、久しぶりに論文コピーしに。本当に久しぶり。一番欲しいものはT大にしかない様子。だから周辺のものを手に入れようと学内の心理学科の図書室に。学内でも予算の配分が違うから、心理は羨ましい環境。で、ろう関係を研究しているid:shibutoさんの論文(『社会学評論』)もコピーを取って読んでみようと、教育・社会の図書室へ。こっちも充実したスペース。本当、日本語教育関係は可哀想な状態だ。帰宅する電車の中で途中まで読むも(「規範」「スティグマ」まで)、先週までの疲れはなかなか取れず爆睡。また読んでみます。