実家生活から一人生活へ

 今日の夕方、実家から戻ってきた。息子を預けて。これで数日間、夫も子どももいない生活。嬉しいようでいて、少し複雑。研究関連でやること山積なので、それを何とか処理していきたいと思っている。
 実家では、「お三度さん」状態。父も台所に立つので、嫌味を言われるが、私が作るとしたら・・・と考えると、料理が苦手な私が作るものは毎回決まってきてしまう、じゃ、嫌味言われながらも父が作った料理をおいしくいただこう、と決めたのだ(有難う、父上!)。食後の皿洗いは私の担当にして。
 息子は元気があり余っている!パワフル!年老いた両親は日中2回くらい昼寝というかウツラウツラする時間帯があるし、私も何だか実家ではよく眠くなるし・・・大人3人いても、息子が一人で遊んでいるという時間帯も生まれてしまっていた。時に隣の家に行っては、ハトコの様子を見てきて、あとはビニールプールで遊んだり・・・という生活。明日から両親が一緒に、あるいは交互に面倒を見てくれることに。
 この時期、終戦モノの番組が多く、いくつかビデオに録画したので、ボチボチ見ていこうと思う。「歴史を知らない」というコンプレックスがあるので、子どもの成長とともに、私も色々勉強していかなければと強く感じる。
 今日の午前中は、父の実家(本家)にお線香あげに行ってきた。昨晩の虫取りで、市境にある標識で知らない地名があったのだが、今日になり、明るい中標識を確認したら、市町村合併が行われて、父の実家の町名が変わったことに気づいた。車を走らせている母は「○○村(母の実家)も、名前、変わったのよ。△△市になったんだよ」と。昔からある地名がどんどんなくなっていく。本家では、合併したからといって財政が苦しいのは変わらない、予算が削られ、どうにもこうにも・・・。地元の小学校の児童が全校で36人になってしまったし、盆踊りも来年から出来なくなるだろう・・・そんな話を聞いてきた。伝承されるべきものが危うくなっている。
 父の実家で手作りの餅をたらふくいただき、家に戻ったら大人3人は昼寝、息子1人遊ぶ。私が帰る時間が近づいて、息子に起こされる。私を駅に送った後、母にトイザラスに連れて行ってもらうことになっている息子は、寂しい様子なし(笑)。「いい子でいてね」と声を掛け、バイバイする。夜『義経』が終わったら「『よしつね』みた?」と電話が掛かってきた。トイザラスで、お目当てのプラレールの電車は売っていなく、ミニカー4つ買ってもらったと言っていた。「いい子」でいるために(爆)。