安心な場所作り

 社会不安、安全神話の崩壊・・・子どもの安全は誰が守る?安全・安心な場所ってあるのか?家の中も安全か?私たち大人が立て直し、作り上げていかなければならない。社会のせいにするのは簡単だ。でも社会って何?『私』が社会の一員、責任を持たなければいけない一員なのだ。あまりにも専門が細分化し、「専門家」に任せるのが当たり前。「専門家」をチェックするのは誰?・・・私たち大人一人ひとりじゃないか。「大人」や「社会」という言葉に含まれる「全体性」に責任転嫁してはいけない。分からなければ聞くこと。どんどん質問すること。わかるように話してくれと伝えること。不思議であるという直感を大切にすること。「普通だったらこんなに高いはずなのに、どうしてこんなに安く出来上がるのか?」「こんなに値が張るのには何か訳があるの?」とか。そういういうことも含めて。一人ひとりの意識が大事だ。「生きる力」ってそういうのも含まれているはず。じゃ「意識」ってどこから生まれる?あの人が持っている「意識の高さ」は、持って生まれたものか?家庭環境がよかったからか?それもあるだろう。でも、大体が本人が努力して身につけた知識から生まれることがほとんどだろう。学歴は関係ない。テレビドラマの『ドラ○ン桜』で阿部寛が言っていた「だまされる側になるな」とも通じる。安全・安心な場所作り。今私は何ができる???・・・でも、安心し信用し任せ合える社会っていいよなーと思うわけでして・・・。ふぅ〜
 このブログでは政治や社会的問題はあまり書きたくないのだが、最近のニュースには本当に本当に腹が立つことが多く、で、腹が立ったり、人をバカにしたり、他人事としたりするのは簡単で、これをどう自分に引き寄せるか、どう現実化させるか、やっぱりそれが「大人のあるべき姿」だと思いつつ・・・あーあー、妙案は浮かばず、でも書かずにはいられない出来事ばかり。

【補記】
日本語の「案が浮かぶ」・・・これって、本当に日本語的。「する」言語ではなく「なる」言語。勝手に浮かんでくるものではないのに、待ってもどこからか降ってくるわけでもないのにね。自分で作らなくてはね。M時代のS先生の言葉、「いい研究テーマ(リサーチクエスチョン)はいつまで待っても降ってはこない」を思い出したり(苦笑)。